明治150年 歴史より、現代の難問を解決するブログ

明治以来150年間、日本が経験してきたことを、歴史は繰り返すの観点から、現代の難問を解決します。

戦争が絶対に起こらない時代の共通項を発見した! そして、日本がそれを失う日を予言

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

これからお話しするのは

歴史的観点から、

これからの日本の行き方をわかりやすく

これ以上ないというくらいかみくだいて

 

つまり、この先の指針を

はっきりと明示します。

 

今日は戦争のない時代について

の考察です。

 

「平和」…これほど大事なものは

ありませんね。

でも、日本では

戦争がなかった時代の方が珍しいです。

そのなかで、ぽっかりと平和な時期が

長く続いた時代だって

よく見ると、ないわけではありません。

 

代表的な3つの時代をご紹介します。

 

ベスト3形式でいくと。

 

3位は現代です。

 

敗戦以後のわが国もことですね。

日米安保のもと、わが国は

大いに経済発展し

平和を謳歌してきました。

戦後70年以上が経過しています。

しかも、現在進行形

生けるレジェンド・イチロー並ですよ。

 

次、いきましょう。

 

2位 平安時代

 

みやびな貴族文化の時代

まだサムライも力をつけていなくて

実に優雅で平和でした。

ただし、疫病や飢饉に悩まされたのは

事実です。

平和でもこれは困りますよね。

 

さて、堂々たる第1位は

 

もちろんダントツの江戸時代ですね。

 

争いのない250年間

素晴らしいかぎりです。

 

では、なぜ、戦争がない時代が

できたのか?の問いかけです。

 

この3つの時代に共通するのは、

何でしょう?

 

それは言うまでもなく

強大な支配者

がいたからですね。

 

江戸は徳川幕府

 

平安は藤原摂関家

 

そして現代は世界最強アメリカ軍です

 

強い武力に歯向かう者は出てきません。

 

ラテン語でPAX(パックス)とは

平和をさします。

 

ですからパックス・ローマーナは

ーマによる平和です。

 

それにちなめば

 

パックス・トクガワーナ

 

パックス・フジワラーナ

 

パックス・アメリカーナ

 

となります。

 

では、江戸や平安と、現代が

異なるところなんでしょう?

 

それはまず

 

国際化です。

 

江戸は鎖国、平安は遣唐使廃止

による国風の時代です。

いずれも内向きですね。

外の脅威がない分、平和です。

現代のわが国はどうでしょう?

いくらアメリカの

傘の下にいるといっても

なにせ、グローバリゼーション

の時代ですからね。

さまざまな場面で

国境はたやすく乗り越えられます。

 

あと、

現代が他の時代と決定的に違うのは

 

自由な時代であること。

 

昔のように生まれでその人の

職業や身分が左右されるわけでは

ありませんね。

 

「能力による機会均等」の時代です。

 

さて、ちまたの感情では、

日米安保体制=マイナスイメージが強い。

国際化、自由化=プラスイメージです。

 

しかし、平和という観点からは

どうでしょう?

 

江戸も平安も

異質なものを拒否した時代です。

国民の大半(99%?)農作民です。

 

その上に世襲の支配体制がありました。

 

それで不自由ながらも

平和を維持してきました。

 

でも、

つまらない、不自由な時代ですね。

そんな時代に生きていたら、

窮屈すぎて、息が詰まります。

 

それを打破するように、

旧・下級武士が中心になって

明治維新を実行し、

さらに

幕末の尊皇攘夷思想を引き継いで

 

海外列強の仲間入りをするため

戦争に突き進んでいきました。

そして、惨めな敗戦を迎えます。

 

戦後はアメリカ(正確にはGHQ)に

占領され

 

独立後もアメリカの国際戦略のなかで

生かされてきました。

 

そんななかでもミクロな個人レベルでは

 

自由度もあり、グローバルな世界で

生きることができています。

 

結論的に言えば「今がイチバン」です。

 

それが破られるのは、

隣接する軍事大国・

中国、ロシアの動きです。

 

中国指導体制の内部亀裂

 

また、プーチンという野心的な独裁者

 

がどう出るか?

 

今後、半島情勢も視野に入れ

 

どう安保体制に影響が出てくるのか?

 

ミリタリーバランスは

どう変化していくのか?

 

この極東とい名の火薬庫に

火がつかないように見守って

いきたいものです。

 

では、また次回。