明治150年 歴史より、現代の難問を解決するブログ

明治以来150年間、日本が経験してきたことを、歴史は繰り返すの観点から、現代の難問を解決します。

大不況に追い打ちをかけた大震災は、まさに現代のデ・ジャブじゃないか!!

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

第1次世界大戦後にヨーロッパが復活してくると

日本の工業製品のとたんに売れなくなります。

それで日本は一時的な好況の反動で

1920年(大正9年)の3月くらいから、

ひどい不況におちいってしまいます。

 

これを戦後恐慌といいます。

 

そして、それに追い打ちをかけたのが

 

1923年(大正12年)9月1日の、関東大震災です。

 

現代との比較で大震災というのは出てくるので、

次のようになります。

 

関東大震災 1923年(大正12年)9月1日  

死者10万人レベル 

 

阪神・淡路大震災 1995年(平成7年)1月17日  

死者6千人レベル

 

東日本大震災 2017年(平成29年)3月10日  

死者1万5千人レベル

 

(いずれも公式記録より。死者は概数換算)

関東大震災の統計は不確かだとされ、

10万人とも14万人ともされる。)

 

これだけ見ても関東大震災の被害の大きさが群を抜いています。

しかも首都圏のど真ん中で起こったものですから。

まさしく「首都喪失」っていう印象です。

 

震災の影響を受けた会社も個人も

経済的打撃を受けたので

政府はその応急策にやっきになります。

こうして日本の1920年代は

戦後恐慌と震災復興で

たいへんな時代になります。

 

ここに現代への大きなヒントが潜んでいます。

これは現代に通じる重要なできごとです。

その対策の良否が国家の進路を決定

してしまうからです。

 

さて、震災の影響を受けた会社も個人も

大きな経済的打撃を受けたので

政府は「震災手形」なるものを発行します。

つまり政府が一時的に支払いを肩代わりして

経済的混乱を少しでも

やわらげようとしたものです。 

あ、もちろん先延ばししただけで 

後日、震災の影響を受けた会社や個人から 

清算してもらうための約束手形なんですよ。

 

で、きちんと清算できたかっていうと 

まったくそんなことはないわけで 

焦げつきだらけ 

つまりお金が回収できなかったんですよ 

今でいう不良債権の山

うず高くできたわけです。 

そんなことで当座の救済策は役に立たず 

倒産、破産の時期を少し先延ばしにしただけで 

結局は、ちまたには、

軒並みの倒産、破産、失業が

あふれかえりました。

こういうことを

むつかしいことばで

弥縫策(びぼうさく)といいます。

一時逃れに取り繕って間に合わせる

ための方策です。

 

 

時代は昭和に入ります。

1926年(大正15年)のクリスマス、

12月25日に大正天皇崩御され

同じ日に皇太子の裕仁親王天皇

の位につかれて昭和に改元されました。

 クリスマスですから、1926年(昭和元年)は

わずか1週間で終わります。

明けて1927年(昭和2年)は

最も深刻な不況の年となります。

その名も「昭和2年恐慌」といいます。

 

大型倒産が相次ぎ 

その最たるものが鈴木商店の倒産です。 

鈴木商店といっても、

現在、聞き慣れない社名ですが

一時は三井物産をしのぐ取引高を誇った

当時における最大級の商社でした。

 

特に台湾との取り引きが大きく、

その関係で台湾銀行

密接な関係がありました。

 

台湾銀行というのは、

台湾の中央銀行であり、

最大の商業銀行でした。

 

鈴木商店の歴史的な倒産の影響

をもろにかぶ

台湾銀行も大打撃を受けました。

 

日本の経済力はまだまだ

幼稚だったのです。

そして、

1929年、世界大恐慌を迎えます。

 

この話は、次回に続きます。