明治150年 歴史より、現代の難問を解決するブログ

明治以来150年間、日本が経験してきたことを、歴史は繰り返すの観点から、現代の難問を解決します。

現在は正に戦前の大恐慌時代と鏡合わせだ。前回の破滅への道 ー戦争ー をもう一度たどるのか!?

2017917日更新)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

1980年代の後半に始まったバブル時代。

とにかく散財につぐ、散財の時代。

中年以上の方は思い出せるでしょう。

高級車や億ションがバカスカ売れました。

働かずとも、株や土地が

勝手に巨富を稼ぎだしてくれましたよ。

 

銀行はジャブジャブある資金を

なんとか動かそうと

土地の担保価値以上に貸し出します。

 

正に1920年代のアメリカと同じですね。

 

投機熱は過熱しついに1990(平成2年)

に株価が暴落。

この数字、日本で恐慌の発生した

昭和2年とゾロですね。

 

さらに政府の地価上昇に対する

抑制政策によって

1993年平成5年)土地価格も暴落して

 

バブル好景気は文字通り

泡のごとくはじけてしまいます。

 

その後、日本経済は

自立回復していくのですが

1995年、阪神・淡路大震災が発生し

 

その痛手が癒えない内に

登場したポマード大王・橋本龍太郎

日本を滅茶苦茶にしてしまいますよ。

 

よせばいいのに

日本経済が満身創痍な時期に

官僚主導で財政再建をやるとか

いきりたって

1997年平成9年)

消費税を3%から5%に増税

一度は回復に向かった経済を

底なし沼にひきこみます。

 

1997年(平成9年)から翌年にかけ

 北海道拓殖銀行山一證券が潰れ

金融不安はピークを迎えます。

 

通常の循環不況に

資産バブル崩壊が合わさって

当時、複合不況なんて呼ばれましたね。

 

1998年(平成10年)から

経済的要因の自殺者が急増し

自殺者3万人時代

なんて呼ばれました。

 

それに金融機関の含み損が表面化し、

多額の不良債権を抱えた企業が

軒並み倒産していきました。

 

1999年(平成11年)は、

巷間、この世の破滅の年だなんて、

1970年代に流行った

ノストラダムスの大予言」という

ベストセラー本がありましたが

 奇しくも予言が的中してしまった

人々がちまたにあふれたわけですよ。

 

そんなうす暗い20世紀末が終り

21世紀の幕開けとともに、

さっそうと現れたのが

ライオンヘアの小泉純一郎ですよ。

 

小泉劇場とその評価

21世紀の到来とともに

颯爽と現れた小泉純一郎

芸術家のように髪をなびかせ

オーバーすぎるくらいりきんだ語り口に

民衆はかれに最後の望みを託して

国民人気たるや凄いものでしたよ。

 

小泉内閣の政策は

ワンフレーズ政策と呼ばれ

庶民にわかりやすいものでした。

「官から民へ」をスローガンに

聖域なき構造改革

というものに取り組み

郵政民営化をはじめ

日本道路公団の民営化など 

やつぎばやに行いました。

ここで敵役に登場したのが

郵政族、道路族なんていう 

族議員

いわゆる抵抗勢力ってやつでしたね。

 

また、小泉政権は、金融庁を発足して

銀行の不良債権も進めましたよ。

 

都市銀行も三大メガバンクに統合され

ようやく日本経済は

自律成長をはじめました。

 

一方のアメリカではブッシュの息子が

まさかの大統領になって

 

それをきっかけにして

2001年9月11日

アメリカ同時多発テロ事件

起こります。

世界はテロと紛争の時代に

混迷の度合いを深めます。

 

アフガニスタンイラク

戦火が起こります。

 

そんな2008年に起こったのが

サブプライムローンのこげつきによる

アメリカの民間金融大手

リーマンブラザースの倒産ですよ。

これを引き金に

世界金融危機が訪れます。

 

リーマンショックです。

 

これは思い出しますね。

大正バブル(成金時代)から

昭和初期の長期デフレ不況(恐慌)

と鏡合わせです。

 

日本が1920年代に恐慌であえいでいた

その反面、米国は黄金の20年代でした。

そして1929年のアメリカ初の世界恐慌 

まさに歴史は繰り返すんです。

 

1990年代以降デフレ経済に

苦しんでいた日本

2009年、政権交代が起こります

 

当初は期待された民主党政権でしたが 

寄せ集めで意志決定の仕組みが滅茶苦茶で

思い付きで何事も行われたため

世情は混乱しました。

 

そこに2011年の東日本大震災です。

 

大きな経済負担と政治混迷を

残しただけで

民主党政権はわずか3年間で

終焉を迎えました。

 

さあ、いよいよ話は大詰めですが

話が長くなってしまったので

 

すみませんが、この続きは次回に。

 

世界大恐慌の真実と突破口が見えない日本。そして行き着いた驚がくのてん末は。

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

1920年

日本は、「慢性不況」と呼ばれる

倒産、失業が続く、暗い時代でしたが

 

1920年代のアメリカといえば、

それはそれは黄金色に輝く

最も豊かで、最も華やかな、繁栄の時代でした。

 

ところが1929年10月29日の

ウオール街の株価大暴落をきっかけに

アメリカは、繁栄の1920年代の反動で、

大恐慌が起こります。

 

1920年代とは裏腹に

1930年代のアメリカは大不況の時代となります。

 

では、なぜウオール街の暴落は起こったのでしょうか。

 

実はコレ、学者によっていろんな意見があって、

はっきりしないのです。

 

1920年代のアメリカは

第1次世界大戦をきっかけに

世界のチャンピオンに躍り出たのですから

まさに向かうところ敵なしの

イケイケ状態です。

 

この時期は実際に手元資金がないのに

株の信用取引が横行していたらしいです。

日本のバブルの時のように、ね。

 

やや過熱気味になってきたところへ

循環的な、ごく小さな不況がやってきて

一部投資家が株を手放したのをきっかけに

不安が連鎖し

資金回収のため

皆が投げ売りを開始しだして

 

大暴落に結びつきました

 

これをきっかけに

さしもの繁栄を誇っていたアメリカも

超不況、倒産・失業時代に!

 

触れ巾が大きいほど反動は大きくてこわいですね。

 

ルーズベルト大統領は

ニューディール政策」といって

なんとか雇用を創出しようと

積極的な公共事業を打ち出すんだけど

効果が出るまでに時間がかかり

結局、途中でギブアップ

してしまうんです。

 

アメリカ発の不況は

世界に影響が出て

世界大恐慌に陥ります。

 

もちろん日本も例外ではありません。

この時代のことは学ぶことが

多すぎるくらいありますね。

 

まさに教訓の泉です。

 

日本はどんどん物価が下がっていく。

 

でもこれ庶民には

とっても歓迎されていたんですね。

1930年(昭和5年)は良い年が越せる。

物価が安くて、楽になったと。

当時の新聞は、そんな世相を

伝えているんです。

 

お気楽なものですね。

 

でも、現代だって、似たようなものです。

正常な経済でないことは

歴史が教えてくれています。

 

この時、ライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸首相が

金輸出解禁」を行ったのですが

この金輸出解禁、略して「金解禁」は

近代史を語る上で

とても大切な問題なんです。

 

ちょっとややこしいですが

付き合ってくださいね。

 

ひと言で言えば

近代の貨幣経済金本位制

金の信用力で貨幣経済

まわしていたんですが

 

非常事態には自国の金の流出を防ごうと

国は防衛上、金輸出禁止にするんです。

 

だから第1次世界大戦の非常時に

列強各国は金輸出禁止にします。

 

そして平和が戻れば金解禁にして

正常な金本位制に戻します。

 

あ、金本位制は現代では行われていませんよ。

 

現代はその代わりに管理通貨制度っていって 

各国の責任で発行量をコントロールしています。

これは現代のアベノミクスでも出てくる

重要な考え方なので

その時もう一回説明します。

 

で、日本なんですが

アメリカやヨーロッパの各国が

金解禁に踏み切っても

日本は金解禁ができていなかった。

 

というのも、ひどい不況で、

そのタイミングを逸したんですね。

 

その時に登場するのが

「ひげだるま」こと高橋是清蔵相です。

 高橋は濱口内閣のもとで金解禁を断行する。

で、円安操作を行うんです。

 

これによって日本の製品が売れやすく

しようとしたんですが

各国の非難を浴びます。

ソーシャルダンピング」だと叩かれるんです。

 

ソーシャルダンピング、聞き慣れない言葉ですね。

別名、為替ダンピングとも言います。

 

国が操作をして外国に自国製品を

安く売りつけようとすることです。

今でもこの言葉は使います。

 

でも、金本位制自体はとてもよくできたシステムで

これは決して悪じゃない。

 

つまり、各国の通貨はバラバラだけど

金を世界経済の基本にして

みんなで自由に貿易しあって

平和な国際関係を

つくっていきましょうという

とてもよいシステムなんですが

 

非常時には、システムがうまく働かない。

ですから、第1次世界大戦のときもそうだったし

アメリカ発の世界恐慌でも 

自国の経済を守ろうと再び欧米列強は

再び金輸出禁止を宣言します。

 

世界的信用度がどんどん低下

経済は小さく内向きのものになっていくんです。

 

そして「持てる国」の

イギリス、フランス、アメリカは

それぞれ自国の通貨が通用する地域で

ブロックを固め

自国経済を守りに入ります。

 

ブロック経済です。

 

一方の持たざる国の日本やドイツは

遅まきながら外へ外へと進出していこうとしますが

 

ここでブロックとぶつかるようになります。

 

特に日本は第1次世界大戦で得た

太平洋の南洋諸島

中国大陸の満州の利権で

欧米列強

なかでもアメリカと

もろにぶつかるようになっていきます。

一触即発の状態になっていくのですね。

 

戦前の流れは現代と相似形です。

 

次回以降は、現代との比較、そして対応策について

 

突っ込んでお話していきましょう。

 

では、また次回。

 

大不況に追い打ちをかけた大震災は、まさに現代のデ・ジャブじゃないか!!

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

第1次世界大戦後にヨーロッパが復活してくると

日本の工業製品のとたんに売れなくなります。

それで日本は一時的な好況の反動で

1920年(大正9年)の3月くらいから、

ひどい不況におちいってしまいます。

 

これを戦後恐慌といいます。

 

そして、それに追い打ちをかけたのが

 

1923年(大正12年)9月1日の、関東大震災です。

 

現代との比較で大震災というのは出てくるので、

次のようになります。

 

関東大震災 1923年(大正12年)9月1日  

死者10万人レベル 

 

阪神・淡路大震災 1995年(平成7年)1月17日  

死者6千人レベル

 

東日本大震災 2017年(平成29年)3月10日  

死者1万5千人レベル

 

(いずれも公式記録より。死者は概数換算)

関東大震災の統計は不確かだとされ、

10万人とも14万人ともされる。)

 

これだけ見ても関東大震災の被害の大きさが群を抜いています。

しかも首都圏のど真ん中で起こったものですから。

まさしく「首都喪失」っていう印象です。

 

震災の影響を受けた会社も個人も

経済的打撃を受けたので

政府はその応急策にやっきになります。

こうして日本の1920年代は

戦後恐慌と震災復興で

たいへんな時代になります。

 

ここに現代への大きなヒントが潜んでいます。

これは現代に通じる重要なできごとです。

その対策の良否が国家の進路を決定

してしまうからです。

 

さて、震災の影響を受けた会社も個人も

大きな経済的打撃を受けたので

政府は「震災手形」なるものを発行します。

つまり政府が一時的に支払いを肩代わりして

経済的混乱を少しでも

やわらげようとしたものです。 

あ、もちろん先延ばししただけで 

後日、震災の影響を受けた会社や個人から 

清算してもらうための約束手形なんですよ。

 

で、きちんと清算できたかっていうと 

まったくそんなことはないわけで 

焦げつきだらけ 

つまりお金が回収できなかったんですよ 

今でいう不良債権の山

うず高くできたわけです。 

そんなことで当座の救済策は役に立たず 

倒産、破産の時期を少し先延ばしにしただけで 

結局は、ちまたには、

軒並みの倒産、破産、失業が

あふれかえりました。

こういうことを

むつかしいことばで

弥縫策(びぼうさく)といいます。

一時逃れに取り繕って間に合わせる

ための方策です。

 

 

時代は昭和に入ります。

1926年(大正15年)のクリスマス、

12月25日に大正天皇崩御され

同じ日に皇太子の裕仁親王天皇

の位につかれて昭和に改元されました。

 クリスマスですから、1926年(昭和元年)は

わずか1週間で終わります。

明けて1927年(昭和2年)は

最も深刻な不況の年となります。

その名も「昭和2年恐慌」といいます。

 

大型倒産が相次ぎ 

その最たるものが鈴木商店の倒産です。 

鈴木商店といっても、

現在、聞き慣れない社名ですが

一時は三井物産をしのぐ取引高を誇った

当時における最大級の商社でした。

 

特に台湾との取り引きが大きく、

その関係で台湾銀行

密接な関係がありました。

 

台湾銀行というのは、

台湾の中央銀行であり、

最大の商業銀行でした。

 

鈴木商店の歴史的な倒産の影響

をもろにかぶ

台湾銀行も大打撃を受けました。

 

日本の経済力はまだまだ

幼稚だったのです。

そして、

1929年、世界大恐慌を迎えます。

 

この話は、次回に続きます。

 

歴史からの教訓。百年前の「大不況から戦争」への道は避けることができるのか!?

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

今回、とりあげたいのは

現代日本と

大正から昭和にうつる時代

年号でいうと

 1995年から現代までの四半世紀と

 1920年から1945年までの四半世紀

 の時代が極めて似通っている

という指摘です。

 

1920年(大正9年)~ 1945年(昭和20年)

戦後恐慌、大震災、社会不安、

全体主義的傾向、戦争~焼土・敗戦へ

 

1990年(平成2年)~ 2015年(平成27年)

バブル崩壊後の長期不況、2度の大震災、右傾化

(引用元:集英社新書『愛国と信仰の構造

全体主義はよみがえるのか』2016年2月発行)

 

「歴史は繰り返す」という教訓です。

 

これを詳しくご説明していきます。

大事な話なので、かみくだいて話しますから

お付き合いくださいね。

 

まず、戦後恐慌についてお話しします。

第1次世界大戦がヨーロッパで起こって

ヨーロッパ列強同士が

泥沼の戦いをはじめてしまいます。

で、日本やアメリカは対岸の火事

漁夫の利ヨロシク、新興国のアメリカ

そして日本が栄えていく原因になります。

アメリカは黄金の1920年代を迎えますし

日本でも元老の井上馨

ヨーロッパが戦争になったと聞いて

「天祐」と喜んでいます。

天祐とは、天の助け、思いがけない幸運、

のことですよ。

あ、日本もアメリカも、

当時はまだ一流の国とはいえないですね。

 

当時の一流国、大国というのは

ヨーロッパの諸国をさします。

 

で、よせばいいのに、

そのヨーロッパの一流国同士が戦って

国土が荒廃してしまったもので

世界経済の中心、生産の中心が、

ボロボロになってしまうんですね。

 

つまり「ヨーロッパの没落」ですよ。

 

アメリカは、ヨーロッパに武器弾薬を

売りまくって大もうけし

 

日本は、日本で、アジア(日本を含む)

に販売していたヨーロッパ製品が

急にストップが途絶えてしまったんで

そのすきに日本製の製品がバカ売れしたんです。

実際、第1次世界大戦の時期に

日本の工業は飛躍的に発達します。

ですから、この時期に日本で

設立された会社や工場は多いのです。

それで、日本では

「成金(”なりきん”と読みます)」

という人たちが続出します。

 

ところが、ヨーロッパで戦争が終わり、

生産を再開しだすと

今まで売れていた日本製品はぱったりと

売れなくなってしまいます。

 

現代なら、考えられないことですが

当時のヨーロッパと日本の工業製品の

質の違いはくらべものにならなくて

まったく太刀打ちできなかったのです。

それで日本はいっときの好況の反動で

ひどい不況におちいってしまいます。

 

これが戦後恐慌です。

 1920年(大正9年)の3月からです。

 

3月の東京株式取引所の株価相場は、

高値549円から低値349円と大暴落しました。

 

この時期に体力のない企業は軒並み倒産し

逆に、三井、三菱、住友、安田など

財閥系企業だけが生き残って

財閥による独占体制がすすみます。

 

ちまたには失業者があふれ

「大学は出たけれど」なんていう

言葉が流行ります。

学士様でも職にありつけるのは

ごくわずかだったということです。

そして、この後、長い長い

不況の時代が続くのですが

 

長くなったので

 

続きは次回に。

戦争が絶対に起こらない時代の共通項を発見した! そして、日本がそれを失う日を予言

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

Meiji150です。

 

これからお話しするのは

歴史的観点から、

これからの日本の行き方をわかりやすく

これ以上ないというくらいかみくだいて

 

つまり、この先の指針を

はっきりと明示します。

 

今日は戦争のない時代について

の考察です。

 

「平和」…これほど大事なものは

ありませんね。

でも、日本では

戦争がなかった時代の方が珍しいです。

そのなかで、ぽっかりと平和な時期が

長く続いた時代だって

よく見ると、ないわけではありません。

 

代表的な3つの時代をご紹介します。

 

ベスト3形式でいくと。

 

3位は現代です。

 

敗戦以後のわが国もことですね。

日米安保のもと、わが国は

大いに経済発展し

平和を謳歌してきました。

戦後70年以上が経過しています。

しかも、現在進行形

生けるレジェンド・イチロー並ですよ。

 

次、いきましょう。

 

2位 平安時代

 

みやびな貴族文化の時代

まだサムライも力をつけていなくて

実に優雅で平和でした。

ただし、疫病や飢饉に悩まされたのは

事実です。

平和でもこれは困りますよね。

 

さて、堂々たる第1位は

 

もちろんダントツの江戸時代ですね。

 

争いのない250年間

素晴らしいかぎりです。

 

では、なぜ、戦争がない時代が

できたのか?の問いかけです。

 

この3つの時代に共通するのは、

何でしょう?

 

それは言うまでもなく

強大な支配者

がいたからですね。

 

江戸は徳川幕府

 

平安は藤原摂関家

 

そして現代は世界最強アメリカ軍です

 

強い武力に歯向かう者は出てきません。

 

ラテン語でPAX(パックス)とは

平和をさします。

 

ですからパックス・ローマーナは

ーマによる平和です。

 

それにちなめば

 

パックス・トクガワーナ

 

パックス・フジワラーナ

 

パックス・アメリカーナ

 

となります。

 

では、江戸や平安と、現代が

異なるところなんでしょう?

 

それはまず

 

国際化です。

 

江戸は鎖国、平安は遣唐使廃止

による国風の時代です。

いずれも内向きですね。

外の脅威がない分、平和です。

現代のわが国はどうでしょう?

いくらアメリカの

傘の下にいるといっても

なにせ、グローバリゼーション

の時代ですからね。

さまざまな場面で

国境はたやすく乗り越えられます。

 

あと、

現代が他の時代と決定的に違うのは

 

自由な時代であること。

 

昔のように生まれでその人の

職業や身分が左右されるわけでは

ありませんね。

 

「能力による機会均等」の時代です。

 

さて、ちまたの感情では、

日米安保体制=マイナスイメージが強い。

国際化、自由化=プラスイメージです。

 

しかし、平和という観点からは

どうでしょう?

 

江戸も平安も

異質なものを拒否した時代です。

国民の大半(99%?)農作民です。

 

その上に世襲の支配体制がありました。

 

それで不自由ながらも

平和を維持してきました。

 

でも、

つまらない、不自由な時代ですね。

そんな時代に生きていたら、

窮屈すぎて、息が詰まります。

 

それを打破するように、

旧・下級武士が中心になって

明治維新を実行し、

さらに

幕末の尊皇攘夷思想を引き継いで

 

海外列強の仲間入りをするため

戦争に突き進んでいきました。

そして、惨めな敗戦を迎えます。

 

戦後はアメリカ(正確にはGHQ)に

占領され

 

独立後もアメリカの国際戦略のなかで

生かされてきました。

 

そんななかでもミクロな個人レベルでは

 

自由度もあり、グローバルな世界で

生きることができています。

 

結論的に言えば「今がイチバン」です。

 

それが破られるのは、

隣接する軍事大国・

中国、ロシアの動きです。

 

中国指導体制の内部亀裂

 

また、プーチンという野心的な独裁者

 

がどう出るか?

 

今後、半島情勢も視野に入れ

 

どう安保体制に影響が出てくるのか?

 

ミリタリーバランスは

どう変化していくのか?

 

この極東とい名の火薬庫に

火がつかないように見守って

いきたいものです。

 

では、また次回。

いま話題の改元。必ず大不況が来る。その科学的根拠と、そのもっと奥にある日本古来の「禁避」を発見

(2017年9月17日に更新しました。)

 

こんにちは

meiji150です。

 

平成28年(2016年)8月 

天皇陛下が生前ご退位の意向を

表明されました。

 

その理由というのが 

もとよりご高齢のことも

ありましょうが

 

それとともに

昭和から平成に改元された当時の

 

社会の停滞が

再現されることを懸念されて

のことで

生前の改元であれば、

そういうことも起きにくかろうという

 

国民のことを最優先にお考えになった

 

陛下ならではの貴いご聖断と

感服の限りであります。

 

ところで、このブログのメインテーマは

「歴史は繰り返される」であります。

今回は改元と経済への影響

についてです。

 

明治という時代の激変期は別として

大正、昭和、平成に時代が移ったとき

 景気はどのように動いたか?

 

順を追って見ていきましょう。

 

まず、大正時代ですが

 

1次世界大戦が遠くヨーロッパで戦われ

漁夫の利で

日本は大戦景気に沸きかえりました。

 

しかし、それもつかの間

ヨーロッパに平和が戻り

産業が復興すると

日本の製品が売れなくなり

戦後恐慌に陥ります。

 これは大正9年(1920年)のことです。

 

次に昭和時代です。

これは昭和になるとすぐ

昭和2年恐慌に襲われます。

 

その後、昭和6年(1931年)の

満州事変のころから 

軍需中心の景気回復が起こります。

 

さらに、平成時代です。

昭和時代に、産業構造の転換を

いち早く終えた日本は 

貿易摩擦に対する円高不況対策で

 国内の過剰流動性

(行き場のない資金ジャブジャブ現象)

により

バブルの時代に入りました。

 

一方、中曽根康弘安定政権のもとで

電電、専売の民営化など

各種改革が断行され

平成に改元されたころには

日本経済は好景気に

沸きかえっていました。

しかし、改元直後の

 

平成2年(1990年)

株価バブルがまず弾け

次いで平成5年 (1993年地価も下落して

 

バブル好景気は文字通り

泡のごとく弾けてしまいます。

その後、何事もなかったように、

日本経済は自立回復していくのですが

平成7年(1995年)

阪神・淡路大震災が発生し

その痛手がまだ癒えないのに

登場した橋本龍太郎内閣が、

何を血迷ったか

1997年(平成9年)

消費税を3%から5%に増税

経済を底なし沼にひきこみます。

 

こうしてみると

 

共通しているのは改元直後は

好景気であっても

 その後、ひどい恐慌または不況

に陥るというモデルです。

 

しかし恐慌ということばは

見た目も恐ろしいですね。

 

恐慌と不況の違いは規模の違いでなく

タイミングの違いによるものです。

不況が、景気循環サイクルによる

好不況の波により起こるものである

のに対し

 

恐慌は景気拡大局面で

戦争などの大事件を引き金に

突如、景気が後退するものです。

 

さて、平成30年(2018年)の年末を終え

元号に変る20191月ですが

最初のうちは

オリンピック需要や

消費税増税の駆け込み需要で

 

好況に沸くでしょう。

 

しかし、2019年10月の

消費税10%に増税

 

2020年7月の東京オリンピック

閉幕後は

 

ひどい反動不況が

押し寄せることでしょう。

また。景気循環の波も、

間違いなく後退局面

を迎えていることでしょう。

 

間違いなく《新元号2年は

不況になっていることでしょう。

 

昭和2年、平成2年、《新元号2

 

とぞろ目であり、

実に奇妙は符号の一致ですが

 

2”という数字は

 

古来、人間関係の協和を

大切にする日本では

忌み嫌う傾向にあります。

 

これは巷間いわれるように

「水と油」、「白と黒」などの

 

相容れない2つのものが対立する

諍いをする、というところから

出てきたものであり、

日本では、祝儀ごとには

絶対使わない数字ですね。

 

今から、マクロでも、ミクロでも

 

対策が必要です。

 

マクロでは、早期に新たな有効需要喚起

の種まきをするべきでしょう。

 

ミクロでは、ハイリスクの資産を移転し

安全性向上を図るべきです。

 

では、また次回。

 

いま、近・現代はその役割を終えた。「失われた20年という現代の後退期」は結末を迎え、見たこともない新しい「超現代」の勃興期がもうすぐやってくる。

(2017年9月12日に更新しました。)

 

こんにちは

meiji150です。

 歴史は反復しています。

歴史上、同じことは繰り返されます

 

それはなぜか?

 

人間の集団行動原理にもとづいた

ものだからです。

最近、ビッグデータが流行りですが

これはざっくりいえば、

量がまとまれば

予測が推論できることをいうのですが

 

歴史とはまさにそれと同じで

 

多くのひとが織りなす行為の集大成が

歴史を形作るのです。

 

ビッグデータと同じ考え方です。

 

ところで

 

日本が近代を迎えた

明治維新からの150年間を俯瞰して

 

2次世界大戦と敗戦を折り返し点として

 

明治維新からの75年と

敗戦からの75年を

比較したものがあります。

 

これは実は

20162月発行の集英社新書

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』

という書籍からの引用に

なってしまうのですが

 

なかなか興味深い提案なので

ぜひ引用させていただきたいです。

 

それは、近代日本150年間を

繰り返される2つの75年サイクルと見て

それぞれを三つの期に分けて

比較したものなのですが

 

第一期

1868(明治元年)~ 

   明治維新からの富国強兵の時代

1945(昭和20)~ 

   敗戦から戦後復興と

        それに続く高度成長時代

 

第二期

1894(明治27)~ 

   日清戦争からの

         アジアの「一等国」と

   日露・第一次大戦景気

1970(昭和45)~ 

   「JAPAN AS №1」と

   バブル景気

 

第三期

1918(大正7)~ 

   戦後恐慌、大震災、

   昭和維新運動から

   全体主義全盛、

   そして戦争~焼土・敗戦へ

1995(平成7)~ 

   バブル崩壊の深刻化、

   2度の大震災、右傾化 

                               

 とそれぞれ75年間を3つの時期に分け

 その相似をくくりにしたものです。

なかなか興味深い比較作業ですねえ

 

もう少し、具体的に見ていきましょう。

 

いま、便宜上、①,②と

番号を振りましたが

 

は近代のできごと、

②は現代のできごととなります

 

ここでは、明治から敗戦までを

天皇制を掲げた帝国主義の時代として

「近代」と定義づけ。

 

一方、敗戦以後、

日米安保体制による

経済大国化の時代として

「現代」と定義づけています。

 

そして、近代、現代の75年間を3区分し

四半世紀(25年間)づつに見たものです。

 

そしてそれぞれ

第一期、第二期、第三期ととありますが

これについても別の呼称を付けた方が良いでしょう。

 

まず第一期は、

ロスタート地点からの「勃興期」

とすればどうでしょう。

 

近代の勃興期は、明治維新からまったく

新しい日本を作ろうと、

 試行錯誤し、色々な意見の対立を経て

大久保利通のグランドビジョンのもと

 まず国内の充実を図っていった時代でした。

 

一方、現代の勃興期は、

敗戦でゼロと化した日本が

焼土から立ち上がり

独立を果たし、

日米安保というアメリカのバックアップ

を背景に

経済大国にのし上がっていく時代です。

 

その成功の頂点に

1964年の東京オリンピック

1970年の日本万国博覧会

がありました。

 

第二期は、「全盛期」でありましょう。

 

第一期で時代の坂道を駆け上ってきた

時代の勢いが頂点を迎え

世界がそれを認めた時代です。

 

近代の全盛期は、

日清、日露戦争勝利

第一次世界大戦

ヨーロッパが疲弊する中で

アメリカと共に押しも押されもしない

「一等国」に駆け上りました。

当時の「五大国」のひとつになります。

 

現代の全盛期ですが、

オイルショックという

大きなできごとがあり

この時代を実際に経験した世代なら

「これで日本も終わりか」と

 随分ショックを受けたものです。

 しかし、第一次オイルショックの後、

わが国は急激な産業構造の変化を果たし

 従来型産業である重厚長大産業に

とって代わり

付加価値の高い産業に重点が移り、

また第3次産業の比率が高まって

いわゆる軽薄短小の時代に移行します。

 

そして、産業構造が十分に進まなかった

 欧米と輸出で貿易摩擦を起こします。

プラザ合意を経て内需拡大のため

過剰流動性が高まり

バブル景気に狂奔します。

 

この時代を否定的にとらえるか、

肯定的にとえらえるかは

ひとそれぞれでしょう

 

融通性の高い日本の国民性が

良く出た時代と言えるでしょう。

 

そして、第三期ですが、

宴のあとの「後退期」と申せましょう。

後片付けの時代でした。

 

近代の後退期

1次世界大戦後の戦後恐慌

そして関東大震災をきっかけに

長い不況が続き、

結局「大学は出たけれど」職もない

社会不安から

不穏な反社会的動き活発化し

ついに昭和維新運動、全体主義へと進み

 

帝国主義的軍事行動が

景気回復につながりつつも

 

戦争の泥沼

突き進んでいった時代です。

 

一方の現代の後退期ですが

バブル崩壊からの自律回復の過程で

財政再建のための相次ぐ

消費税増税という失政

 

2度の大震災を経験して

 

「失われた10年」「失われた20年」

と続き

 

隣国の内政事情による反日運動に対し

右傾化の傾向が強まる日々。

極東地域の地政学的緊張が高まる日々。

 

それでここからが、

私のぜひ言いたいことですが

 

現代の後退期はすでに20年を超え

 

一つの結末を迎えようとしています。

 

そして次なる時代へ移行

しようとしているのです。

 

その時代は明らかに

明治150年のサイクルから

一歩抜け出たものとなります。

 

それはもしかしたら

 

3度目の75年間周期のはじまりである

かもしれません。

 

ならば、この数年のうちに

現代の後退期は結末を迎え

 

新たに「超現代」の勃興期

となるのでありましょう。

 

その勃興の力は、

いわずもがな

情報の知的爆発であります。

 

知識の集積の極みであるAI」

見たこともない、まったく新しい世界

を作るのです。

 

こういったことはまた深く考察します。

今日は長くなりました。

 

ではまた次回。